カテゴリ:2010年2月の読書( 3 )

『ギリシア悲劇全集6』 『ギリシア悲劇ノート』,他

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これまた近所の店で見つけた酒。
これ、ビンの色じゃなくて、マジで酒の色がピンクなんですよ!?
一見イチゴミルクみたいなのに、飲んでみたら、普通ににごり酒でした。


後、岩波さんから『ギリシア奇談集』が再販されてて嬉しかった^^!!
さすが岩波さん!!愛してるーー!
この調子で、『食卓歓談集』と『新編・木馬と石牛』もお願いしまっす!!



あんまり読んだ本が溜まってきたので、全部感想かけてなくても、ちょっとずつでいいから
アップしていく事にします。


エウリーピデース II ギリシア悲劇全集(6)

岩波書店

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『ギリシア悲劇全集6』

※これまたえっらい昔に読み終わりすぎて記憶が定かではございません。
当時の携帯に打ち込んだメモを見つつ、さらっと流すにとどめておきます。


解説を読みつつまたも不安がぶり返す。
今回は「アンドロマケー」「ヘカベー」「ヒケティデス」「ヘラクレス」の4篇。
解説には、毎回、当然のことながらその悲劇がどの伝承に基づいているのかが、
分かりうる限りで詳しく書いてあり(勉強になります)、
それに照らしつつ、どの部分が作者の改変か、そう考える理由、なども書いてあるのですが、

…エウリピデス先生、革新的過ぎる……

現在出回ってるギリシア神話本って、悲劇の筋をそのまま採用して書いてたりするじゃないですか。
でも、解説を見て
「違うんや、これは悲劇作家の創作した文学的展開であって元ネタはまた違うんやで~~~!!!」
と叫びたくなりました。

そうは言っても、ホメロスからして元ネタになった神話のエピソードに作者の改変が加えられてる
(と推測される)んだし、「神話」というのは理系の学問と違って、
人間自身が作ったものであるし(神話だって一番最初は、その時代の人なりの、
世界を理解する方法=科学だったのかも知れんが)、
創作の上塗りが続けられてると考えれば、悲劇作品が文学だから神話ではないと
断ずるのは早計か…?
悲劇が世に広まって(特に3大悲劇詩人ほどの有名な作家の作品は元の伝承より人々に知られている)
それが前にあった伝承よりもスタンダードになれば、悲劇の筋のほうが本筋ってことになるのでは…

などと考え始めると、どこに線引きして良いのか分からなくなってきました。
まあ、普通にギリシア神話に接する場合はどの原本もどの創作も平等に楽しめば良いけど、

このサイトはホメロス寄りのサイトだからな!
同じ対象に対して、ホメロスと他の原本で競合した場合は、
ホメロスの言ってることのほうに重点をおきますけどね☆
(ホメロスファンを宣言するというのはそういうことだ!)





…と、解説を読んで不安を書き立てられはしたものの
本編を読むと、別に、そこまで言うほどややこしくも難しくも矛盾があったりもしない気がします。
多分、エウリピデス好きの学者の先生はエウリピデスに夢を見てるんですヨね!
そんな先生方が大好きです☆


「アンドロマケー」
以前読んだほどのショックはありませんでした(良かった)。

前回は、アンドロマケ―があまりにふてぶてしく感じてショックだったのですが、
今回読み返して、そうでもないと思った。
子供の父がいくらネオプトレモスとはいえ、不在のネオプトレモスでなくて
一貫して一心に亡きヘクトールに呼び掛けるアンドロマケーがいじらしいです。

…しかし、一作一作ごとに、作者の思惑を表現するコマとして登場人物が配置されるから、
連作でない限り作品間の統合性(登場人物の性格上の統一性も)はほぼありません。
でもってやっぱりスパルタバッシング激しい。(ペロポネソス戦争中だからってさ)

ピロクテーテースのネオプトレモスは確かに良かったけど
オレステスとどちらの肩を持つかと問われればオレステス!


「ヘカベー」
解説に書かれていたヘカベーにおける矛盾や何やかや、その説は面白かったけど、
本編を読むと、単に「ヘカベー、不幸が続きすぎて、2つめの不幸で切れたんと違うか?」
と思いました。
そこまで違和感無かったけどなぁ


「ヒケティデス」
雷に撃たれて死んだ者は神に捧げられた者として撃たれた場所に埋葬されて信仰された



…てことは栃木県は聖なる地なのか!?




「ヘラクレス」
それにしてもテセウス男前やなぁ(惚れ惚れ)
なんだ?テセウス男前伝説を打ち立て中か、エウリピデス?

エウリピデスのおかげで
わたしの中でのテセウスイメージが急上昇中ですヨ!
くっ、アテナイ市民の政治的意図に乗せられてしまった!!



…ふー。読書中に携帯に打ち込んだメモを拾ってみましたが、
ほんと、ろくなこと考えてないですね。
もうちょっと文学に親しんで深く読み込もうぜ、自分…


ところで、勝手に一方的に見習いに親しみを感じられてしまっている明子先生、
実は定年されてたんですね!!
ものすごい好みが合いそうな感じから、もっと若いかただと勝手に想像してました。
そうか、そんな重鎮なのにソポクレスのオレステスプッシュでイタケ人に好意的でいらっしゃるなんて
(勝手に決め付けんなっての)。
ますます明子先生のファンになりそうです。



ギリシア悲劇ノート

丹下 和彦 / 白水社

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丹下和彦著『ギリシア悲劇ノート』読了。

まえがきで、

「文学的に読むことは時に独善的な読み方に陥り、作者が意図していないことまでもそれらしくいい募る例がなきにしもあらず。それはそれで意味がないわけでもないが。」


という反省ともとれる言葉が綴られていて、つねづね文学評など読むとき
「うはははは、作者はそこまで考えてねえって!ま、この研究者がこう見てるって意見自体は
ものっそい面白いし読むの大好きだけどな!!」
などと思っていたワタクシ、やはり学者の方もそう感じていたのだなあ、などと
感慨深く思ったりいたしました。ええ。

中公新書の方から出ている同作者の本が真面目な悲劇解説であるのに対し
こちらはどうもそれに入らない瑣末な覚書を集めたような本らしく、
そんなに肩肘張らずに読めて楽しかったです。

しかし、最後の最後、エウリピデスは女嫌いかどうか、という一章があって、
そこではエウリピデス先生、えらい書かれっぷりでした。
エウリピデスは同時代のアリストパネスからも揶揄されたほどの女嫌いで、
2度の結婚、2度とも嫁の浮気で失敗した根暗い男で、
作品中の登場人物の女性批判には、その自分の辛い経験からの
苦い思いが滲み出てんじゃないかとかなんとか。
一般的にそう見る意見も強いんだそうな。
(まあ最終的にはリアリストとして冷静な観察眼を持って作品を書けば、
どうしても男性作家は女性ぎらいっぽく、女性作家は男性嫌いのようになってしまうもので、
エウリピデスが他人の目にはそう見られてしまうのも、実際のところは
彼が現実をそのまま冷静に受け止める力量のある作家だってことなんじゃないかな?
…という無難なところに着地してましたが)

その段では、ヘシオドスもホメロスも、皆揃って「女嫌い」のくくりに入れられてたんですが、

ヘシオドスからは明確な悪意を感じますが、
別にホメロスからは特別女嫌いっぽい臭いは感じないけどなあ。
確かに、というか、ホメロスの描く女性は強い気はしますが…(特に女神は)

そう感じてしまう丹下先生自身が女嫌いなんじゃねえのか?などとと思わず勘ぐってしまいました。

内容とは関係ないですが、一番最後のあとがきの更に最後、
筆をおいた地名を見て、吹きました。
なんだよ和彦、お前ライナー乗って通ってんのかよ!(だから馴れ馴れしいって)


トルコ語のしくみ

吉村 大樹 / 白水社

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『トルコ語のしくみ』途中。
白水社の語学シリーズのうちの一冊。
『古典ギリシア語のしくみ』と二冊ならんでたのにこちらを買ってしまうあたり
西洋古典好きとしてはまだまだです。スミマセン。

や、発端はごくごく些細な事だったんですよ。
前にも言いましたが、ワタクシ、トルコポップス、結構好きなんですが、
そのうちの一曲の曲名を、図書館で辞書引いて調べようとして


トルコ語の辞書の引き方が分からない…!!!


という衝撃の事実に打ちのめされたのでございます。
そりゃむかーし、大学時代週一でトルコ語かじったけどさ、
そんな化石みたいな知識、すでにして記憶の彼方ですヨ。
それに、トルコ語って膠着語だから単語の後ろにどんどんいろんな要素がくっついていってさ、
そのくっつき方が分からないと元の単語が分からないという…
(日本語でも、そうですね、仮に「たとえあなたが来なくても」という文の意味を知りたかったとしたら、
どうでしょう。「たとえ」はそのまま引いて大丈夫。「あなた」、も大丈夫。
でもその後の「来なくても」が難問じゃない?まず、「ても」が逆説の接続詞だと気付いてそれを
取らないといけない。次に「なく」が否定形「ない」の変形だと気付いて、これも取らないと
いけない。さらに「来(こ)」が、「なくても」にくっつく時に変化したと気付いて
「来る」の形に直して辞書を引かないといけないんですヨ。
トルコ語でもおそらくこのようなややこしい手続きが必要かと思われます。
なら変化のない孤立語である中国語なら辞書引くのは簡単だろ、と思うかもしれませんが
あれは読み方で並べてあるから、まずそれを調べないといけないんで、
こっちはこっちで面倒なことこの上ないですヨ。
まあ例えば「手紙」という単語を調べたいとしましょうよ。
日本語だと「てがみ」だから「て」の項を調べりゃいいけど、中国語でこれはなんて読むんだ!?
仕方がないから巻末の、部首索引や総画数索引でまず「手」の読み方を調べて、「shou」であることを
突き止めた上で、次に「S」の第3声の項目を引かなきゃならない。ああああ、面倒!
(ちなみに正解は、「shou zhi」で、トイレットペーパーの意)
そう思えば、英語は辞書引くのが簡単でいいよな…。動詞の変化も単純だしさ。)



そんなわけで軽く読めそうなこの本を手にとって見ました。
読んでるうちに、昔習った事をぼんやり思い出してきましたが、所有の形については忘れてた。
やっぱり語学は奥深いなあ…(奥深すぎて絶望しますヨ)
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by mi-narai | 2010-03-04 23:31 | 2010年2月の読書

『ギリシア悲劇全集5』


『ギリシア悲劇全集5』

つづき


『ヒッポリュトス』

ヒッポリュトスの下敷きになったエピソードって、アレですよね。
人妻が継子なり夫以外の男に恋慕して、アプローチかけて、
潔癖な相手の男に手ひどく断られ、逆恨みして、
嘘の情報を流して相手の男に害を与える、というアレ。
(アキレウスのお父さんペレウスさんも、たしか似たような被害に遭ってたはず。)



今回読みながら、
おそらくこのヒッポリュトスを前提として語られたであろう
『王書』のスィヤーウシュ王子のアレを思い出してしまいました。

(いきなりあらすじ)
~カイ・カーウースの息子スィヤーウシュ王子と王の後妻スーダーベ姫の話~

カーウース王の後妻スーダーベは若く美しい王子スィヤーウシュに恋し、
彼を何とかものにしようと目論みます。
ここまでは、他の神話と同じです。
しかしここからが一味違う。
相違点の一つ目は、きっぱりと撥ね付けた挙句陥れられた
他の神話の王子達の運命を彼が知っていたという事。
「(ここで下手に動けばわたしは破滅だ。屈辱を我慢して彼女に従う振りをするしかあるまい)」
と考えます。
結局、のらりくらりと彼女のアプローチをかわすうち、真意を気付かれ、スーダーベに怨まれて
お決まりの強姦の振りをされるのですが、
次に違うのが、それを訴えられた父親のカーウース王!

彼は謀略と、慎重で名高い王。石橋を叩いて渡る性格だったのです。

妻の言い分を聞き、息子を疑いながらも、息子の言い分も公平に聞き入れ、
二人の言い分に間違いはないか、息子の身体検査までさせて検証します。
その結果、爪に繊維も入ってないし、残り香も全くない。
心の中で息子は無実、と結論づけ、証拠を固めるため、占星術師やらに占わせて証言も取ります。
結局、スィヤーウシュが罪判じの火渡りをする事になり
見事それをやり遂げたために潔白が明らかになり、事無きを得ます。
(この後、スィヤーウシュはスーダーベを許しますが、
継母に遠慮して自ら国を出、結局そのせいで不幸な運命を辿ります。
ちょっと気の毒です)


このペルシャの話って、絶対このヒッポリュトス型の話を聞いたペルシャ人が、
「王子の不幸をなんとかしたい!」「女の嘘になんか騙されたくない!」
と思った結果の所産ですヨ!(決め付け)




閑話休題、
『ヒッポリュトス』の場合は、キャスティングは、
渦中の年上キラーの主人公がトロイゼンの王子ヒッポリュトス、
彼に恋するのが、アテナイ王テセウスの後妻、クレタの王女パイドラーです。

このヒッポリュトスこそ、おそらく、上のスィヤーウシュ王子が
「あの轍は踏みたくない…」と思ったまさにその人。
ヒッポリュトスに激しく拒絶されたし返しに「彼に乱暴されました」と遺書を残して
自殺したパイドラーの言葉と行動に騙されたテセウスは、
呪いをかける言葉を口にして、そのせいでヒッポリュトスは死に到ってしまいます。



もっと昔、一番最初にこのエピソードを知った時は、わたしも普通に

「ああ、継母に言い寄られて、人道に則って断ったからって逆恨みされて、
殺されちゃうなんて、なんて気の毒な!!
父親も父親ですよ!なんで奥さんのほう信じちゃうのさ。
息子の性格くらいどうして把握してないの!女の色香に負けおってからに!」。

ほどに思ってたんですが、今回は、読み返してて、


なんかヒッポリュトスに腹が立って腹が立って…


なので、注釈に書いてあった
『エウリピデスはヒッポリュトスの狭量を批難している』、の文句に
エウリピデスが一気に好きになりました。

わたしはこれまで知らなかったんですが、エウリピデスって最初に別の『ヒッポリュトス』を
書いてたんですってね。
これに出てくるパイドラーはメーデイアに負けず劣らず押しの強い激しい女性で、
あまりの激しさに世間の評判はすこぶる悪かったらしい。
で、その後におそらくソポクレス作の、同じネタに取材した『パイドラー』が、発表され、
それをはさんで、最後に、エウリピデスは最初のものを改作して現存している『ヒッポリュトス』を物したと。

2作目の『ヒッポリュトス』は1作目とどう違うかというと、
主にパイドラーの人物造詣らしいのです。
1作目のパイドラーが自分から率先して恥も外聞もなくヒッポリュトスに言い寄り、
ヒッポリュトスが拒むや一転恨みを募らせて彼を陥れるという猛女ぶりだったのに比べ
(この1作目の『ヒッポリュトス』を読めば、わたしも素直にヒッポリュトスに同情すると思う)
2作目のパイドラーは、一貫して恥を知る、慎ましい女性なんです。
継子ヒッポリュトスに対する愛が間違っていると知っており、
最後まで秘していよう、ばれてしまうくらいなら死を選ぼう、
と思い詰めてしまうくらい善良な女性なんです。
(→彼女がこう変わった代償に、プロロゴスが、アプロディーテが現れて、すべては自分を顧みない
ヒッポリュトスへの懲らしめであると語るものに変更になったとか。
パイドラーは被害者なのです。
アレっスよね。トロイア戦争の責めをヘレネーに負わせないために、アプロディーテの介入が
裏にあったと語らせるロジックと同じというか。つまり、1作目の『ヒッポリュトス』でパイドラー本人が
持っていた事件への積極性とか、女の怖さとかを、2作目ではアプロディーテが肩代わりしてるんです。
なんか、こう考えるとことあるごとに引っ張り出されて、アプロディーテもいい迷惑だなあ…)
対するヒッポリュトスは、正義感が強く、潔癖で、アルテミス信者で
一生恋も肉欲も経験しなくていい、と考えている若干極端な若者。



言っちゃっていいスか。
…こういう自分だけが正しいって信じ込んでる人、苦手なんですよ…




色々考え、吟味した上でこれが最善かと判断して、それを選ぶ、というなら分かります。
そうありたいものです。
でも、まったく他を顧みない、自分以外の者の気持ちなんて最初から眼中にない人って、
…そういう人ってどうなのよ!!プライドが高いのは別に悪い事じゃないけど、
だからって勝手に自分基準で人に高低差つけて、自分より低いと判断した人は軽蔑って、ひどいよ!!
(↑※大体こういう場合軽蔑される自信が大有りなため、少々感情的になっております)

大体この若造、アルテミス信者なんだけど、
アルテミスには多産の女神としての側面があることなんて丸無視して
自分に都合のいいところだけしか見てないんですよ!
それに、愛やら恋やらを軽蔑する割に、自分のアルテミスに対する執着も
十分粘着やっちゅうねん!
こいつの潔癖さは世間を知らん、未経験さもその一因なんですよ!
要するに青い!

…などと、ふつふつと湧き上がる怒りを感じつつ読み進んでいたら、
注釈に、ワタシの心を読んだようなタイミングで(上でも書いたとおり)

『エウリピデスはヒッポリュトスの狭量を批判している』

という意味の事が書いてあって、思わず膝を打ってしまったという。

まあ、第1『ヒッポリュトス』では激烈だったパイドラーが今回大人しくなったってことは、裏返せば、
ヒッポリュトスに同情できる要素が減ったってことですもんね。

とりあえず、エウリピデスは最後に救済を用意してて、最後にデア・エクス・マキナで
アルテミスが現れ、テセウスは自分の過ちを知り、ヒッポリュトスに後悔を伝え、
そんなテセウスをヒッポリュトスは許し、こうしてトロイゼンではヒッポリュトスが祀られましたー!
…で終わるんですが、
結局、ヒッポリュトスは最後の最後までなんの反省もせず、自分は正しいと思ったまま死ぬんですよ。
(※作品としてのその展開に不満があるわけではないんですが)
なんだかそれが個人的に悔しくて、脳内妄想で補完してみた。


~あらすじ~
※これはテセウスが不在の時の話。

潔癖なヒッポリュトスにパイドラーが秘めた恋をし、
日に日にやつれていく彼女を心配した乳母がお節介をして彼女の思いをヒッポリュトスに打ち明け、
それを聞いたヒッポリュトスは継母からの邪恋に当然の如く激怒、
パイドラーが廊下の影で立ち聞きしているのを承知の上で
彼女を拒絶する激しい言葉を濁流のように吐き出します。
愛する人からのあまりの拒絶に、パイドラーは絶望、
さすがに王女としての誇りもあり、最後の最後にヒッポリュトスに一矢報いる心で、
ヒッポリュトスを陥れる遺言をしたためて自殺。

ここまではいっしょ。

ここから捏造です。

パイドラーの死の直後というタイミングで帰って来たテセウスが、
もしも、パイドラーの手紙を見て、全てを悟ったとしたら、


と妄想してみました。

なんとなく、この人、パイドラーの様子がおかしいことには前から気付いてたんじゃないでしょうか?
自分も昔色々恋をした経験があるだけに、薄々パイドラーの気持ちには感づいていたに違いない。
でも自分が口出しすれば大事になるし、パイドラー自身が踏み出す気がなさそうなのを見て、
静観の構えだったと。
もともとパイドラーとは、以前ゴタゴタしたクレタとの関係修復のために政略で結婚したんだろうから、
それほどの執着を彼女に持っていたわけでもないだろうし。
お互い割り切ってたんですよ。
なので、別に彼女がヒッポリュトスに恋慕していたからといってそこまで腹を立てないだろう。
むしろ、今回パイドラーの死を知ったテセウスは、
「ああ、とうとう踏み出してしまったんだな」と
確認するように事態を理解し、彼女を憐れに思ったのでは。
息子のアマゾンの母親似の気性の激しさも、潔癖性も、アルテミス崇拝も全部知っていたテセウスは、
パイドラーの恋心を知ったヒッポリュトスがさぞかし手ひどく拒絶したろうと、容易に想像がついたはず。



息子の行動は倫理的に正しい。
しかし、正しい行動が、それゆえに人を傷つける事もある。
自分の意に反してまで受け入れろとは勿論言わぬ、だが
どうしてもう少し彼女の気持ちを汲んでやれなかったのか。
自分の息子は人の痛みが分からないのだろうか。
ここまで独り善がりで気取った男なのか。
アルテミスと一緒に狩などして、すっかり自分も神になった積もりか。
この顔を見ろ。
パイドラーの死を驚きはすれども、
パイドラーにした自分の仕打ちに対しては微塵の後悔も感じてはおらぬ。
むしろ、パイドラーからの反撃に憤ってすらいるではないか。
高潔で無垢で気高いその姿!
確かにパイドラーは心弱い女かも知れぬ、だが人間というものは
時に弱く、よろけ、まろびつつ歩くものだ、
それゆえに愛しいのだと何故分からぬ!許す事は出来なかったのか!
分からぬほど若く純粋なお前には、恋にうつつを抜かす人間は全て汚れて見えるのかも知れぬ。

だが、それを断罪する権利など、お前にはない!




壮年のテセウスはそういう風に事件を見、
結局パイドラーを殺したのはヒッポリュトスではないかと腹を立て、
つい怒りにかられて、ポセイドンに授かった必ず成就する呪いを
ヒッポリュトスに対して発動してしまうのですヨ。
しかもテセウス、ポセイドンの息子のクセに、まさかこの呪いが
実現するとはあまり思ってなかったっぽい。
現実的で、神託なんかより実際の政治手腕なんかに重きをおく中年テセウス、
なんか、アルテミスに心酔しているヒッポリュトスと対照的だなあと思いました。

この流れでいくと、
さすがに後で冷静に返ったテセウスが、いくらなんでも大人気なくむきになりすぎた
息子への仕打ちはやり過ぎだったかな、と反省した時に、ヒッポリュトス、事故で重症の
ニュースがもたらされるんですヨ。

ヒッポリュトスがまさかの呪いの成就で瀕死の重傷で運ばれてきた時、
ヒッポリュトスに許されるテセウスの、その情景の裏で、
テセウスに許されているのはヒッポリュトスの方、…だったりして。


………と、通勤電車のなかでこんな妄想をしたのが、もう2週間ほど前!
(思う存分妄想したのでスッキリした気分で図書館に本を返せました!)

やっと書けたー!





・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても阿呆な感想じゃのう。
でも、まったく反省せずにこれからも阿呆な感想ばっかり書くよー!
GO,見習い、GO!

(多分、悲劇の解説なり、関連本読むのが好きなのは、
自分で考えるのが無理だから、他人の意見を読むと
「ほほう、なるほどねえ」などと感心して面白いのだと思います…)
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by mi-narai | 2010-02-11 16:39 | 2010年2月の読書

『ギリシア悲劇全集5』

長いので二つに分けます。その1!


エウリーピデース I ギリシア悲劇全集(5)

岩波書店

スコア:


『ギリシア悲劇全集5』読了。
この巻からエウリピデスに突入です。
5巻は『アルケースティス』『メーデイア』『ヘーラクレイダイ』『ヒッポリュトス』のセット。

まずは解説から。
毎回の事ですが、解説には悲劇に使われたエピソードがどこの伝承で、
どのあたりが作者の改変か、などなどが分かる範囲で載ってて面白いです。
今回のキモは、「メーデイアが実は子殺しをしてなかったかも。」というのと、
「ヒッポリュトス=トロイゼンで祭られてた」(アテナイじゃないんだ!)というもの。
(某K師匠が最近日記で書かれてたような内容がこの解説にも書いてあったっス!
日記を読んで、おお!と思いました)
(※更に後日のつけたし。これを書いた当時は『最近』だったのですが、今となってはもうだいぶ
前になってしまった…)


伝承ではメーデイアの出身地は黒海沿岸のコルキス(だっけ?)ですが、
のちにイアソンと移り住んだコリントスにも縁深い人物だと読んで、
これにもふーんと思いました。
さすが古都、縁故のある神話的人物もバラエティにとんでますね~!
(目下のお気に入り、シシュポスさんもコリントス人だし)

・メーデイアの子殺し関連は、エウリピデス以前の伝承など見てると、

①子供を不死にしようとしてうっかり間違って死なせてしまったバージョン(=故意ではない)
②メーデイアによるクレオン殺害に憤ったクレオンの血縁者が、メーデイアの子供を殺したのを、
メーデイアのコリントス支配を面白く思ってなかったコリントス人達が「子供を殺したのは
メーデイアだ」と触れ回り、濡れ衣を着せたバージョン

などがあるらしい。
なんと!
もともとメーデイアは自発的にああいう形で子供を殺したわけじゃなかったんですよ!

そのメーデイア伝説を、エウリピデスは先行するトラキアのテレウス王とその妻プロクネーの話
(→夫に妹を犯され、その上罪が露見しないように妹の舌まで抜かれた事を知ったプロクネーが、
夫に復讐するために彼との間に出来た子供を殺して食事に出したというあのエピソード)
からヒントを得て、この『メーデイア』で”子殺し”ネタに使ったんじゃないかと。
そう解説で書いてあって、ほほう、と思いました。
メーデイアといえばエウリピデスのこの筋というくらい、子殺しは有名なのに、意外な真実です!

・ヒッポリュトスとトロイゼンは、ヒッポリュトスがそんな祀られてたとは知らんかったんで
ちょっと意外に思った、というそれだけなんですが、
よく考えたら悲劇の筋は各地の信仰の縁起話が多いらしいので、当然っちゃ当然です。

・縁起話といえば、神話ではしばしば、胴体から切り離された頭を埋めると、そこから泉が湧いた、
という泉の起源話があるらしいのですが、それは
「泉」と「頭」の語がギリシア語では一致することによる由来譚ではないか、
と書いてあったのもふーんと思いました。
ダナオス&ダナイデスと水との関りにもこの由来譚が関ってるらしい。

で、本編。
前の日記でも書きましたが、ワタクシ、エウリピデス先生には若干警戒心を
抱いておったのでございます。
根っから庶民のワタクシ、あまり文学というものが分からぬお馬鹿さんでして…
先生のハイクオリイティについていけるか心配で心配で…。

しかし、この本に入ってた4作は大丈夫でしたー!
ていうか、お馬鹿ゆえに裏にこめられてる政治的意図やら演劇上の工夫やら
エウリピデスの真意などなーんも考えないで筋を追ってしまいました。

普通に面白かった…

(以前にざっと読んでるはずなのですが、その時はホメロスの描く人物像との
あまりの乖離具合がショックで(※特にアンドロマケーやメネラオスが)
それどころじゃなかったんですヨ…)

解説を読むと、もっと小難しいこと言ってたり、他の作家に対して批判的で意地悪な事を
言ってたりしそうな印象を受けるのですが、この4篇ではそんな事もなく、理性的な印象を受けました!
その上、ソクラテス大先生のお友達だったと知って、ワタクシの中での
エウリピデスの好感度は大幅アップ!
ヒッポリュトス批判の件でさらにうなぎのぼり!
(※このことに関しては後でゆっくり聞いてください)



『アルケースティス』



この人ら、普通の人たちやな…



というのが、読んでる最中登場人物に対して感じた印象です。
ソポクレスの人物造詣は良くも悪くも純化されてて、そのあたりがホメロスの
アキレウスなどとも通じ、一般的にソポクレスがホメロス的と言われたりする
所以なのかしら?と思うのですが、
エウリピデスの描く人間は、基本善人なんだろうけど、いいところばかりじゃなくて
弱さも併せ持ってて、時々揺らいだり、楽な方に流されたり、自分の過失に目を
つぶったりするので、より生身の人間に近い感じです。
(その分身につまされて、読んでて時々辛いですが。
ソポクレスの時は主人公が極端すぎて時々辛かったけど)
後のメーデイアやヒッポリュトスは主人公が強烈だったのであまり思わなかったのですが、
アルケースティスを読んでいる時は特にそう感じました。

あと、途中で婚礼と葬式の服装について注釈で書いてあって、
「この時代から結婚時は白、葬式は黒の衣装なのね~」と感心したことを覚えてます。

それにしても松平訳は読みやすかった…



『メーデイア』



スカッとしたー!



大体、一般的に『メーデイア』といえば、主人公メーデイアの凄まじさとか女の情念などが語られ、
世の殿方は(多分昔のギリシア人も)観劇後「女ってこええ!!」と
ちびりそうになるだろうと思うんですが、

めっちゃ爽快なんですよ!読後感!

特にやると決めてからのメーデイアさんの胆の座りっぷりが素晴らしい。
(小心なワタクシ、憧れます!)
しかも、オレステスが母親殺しであれだけ大変な目にあったってのに、
対するこのメーデイアさん、さっさと逃亡先確保して高笑いとともに去って行っちゃうんだもん、
もうこれは惚れるしかッ!
あまりのときめきに一気に最終ページまでめくってしまった一作でした。



『ヘーラクレイダイ』


何だかんだ言って、お前もアテナイ市民よのう…エウリピデス!


と読みながら強く思った一作。
アテナイ市民として、テセウスの事は決して悪く書かんのじゃな!
そう考えるとテセウスはアテナイの英雄で得してますよね!
アテナイの英雄だったおかげで大分いろんなエピソードが付け加えられ
てその上いい風に祭上げてもらってる!

この劇は話の筋よりついエウリピデスの郷土愛とか時代背景のほうに興
味が行っちゃって、あまりこれといって感想がなかった一作でした…

でも、注釈のおかげで、
アリアドネーがアルテミスに殺された、というエピソードの詳細が分かりました!
(どうやらこのエピソード、文献的に一番古い典拠が『オデュッセイア』らしいので、
ワタクシ一度松平訳を読み返したんですが、その注釈では
はっきりとアルテミスがアリアドネーを殺した詳細などが書いていなかったんですヨ。)

どうやら、一般的な「アリアドネーはテセウスに捨てられた後、ディオニュソスに拾われた」
という伝承以外に「アリアドネーはまずディオニュソスと出会い、
その後テセウスと出会って彼に惚れ、、ディオニュソスを置いてテセウスと出奔した」
という別伝もあったのですってね。

これも例によってアテナイ人の捏造か!?

…と思わせるようなテセウス色男伝説です。
まあ、そういういきさつならアルテミスも矢を射るかも知れません。納得した。
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by mi-narai | 2010-02-11 00:39 | 2010年2月の読書