<< 雑記 雑記 >>

『世界女神大全Ⅱ』 『全国アホ・バカ分布考』

図説世界女神大全II

アン・ベアリング/ジュールズ・キャシュフォード / 原書房

スコア:



アン・ベアリング、ジュールズ・キャシュフォード著『世界女神大全Ⅱ』読了。
図書館の返却期限が迫ってきたので鬼のように読む。
最後の辺りなど斜め読みもいいところですよー(視線斜め上)
とりあえず、恒例の、お、と思った箇所箇条書き。

「ギリシアの女神」アプロディーテ部分から
・アプロディーテはイナンナの系統かもしれませんが、戦の女神ではない。
や、以前イナンナが戦女神だからアプロディーテもそうなんでは、と指摘を受けて、
そうかもしらんが、そういやギリシア神話では全くそんな記述無いよなあ…???
と不思議に思ってたんです。
やはり、ギリシアに入ってその辺りがすっぽり抜け落ちたみたい。
まあ、アテナがいるしな…
(『イーリアス』でも、ゼウスに、「戦のことはアテナに任せて、お前は恋愛の粋な領域に
専念していなさい」とか言われてたし。
アレスが恋人なのは、以前の職能の名残なのかもしれないけど)

(↓この辺りはデメテルとペルセポネー部分)
・デメテルは、これまで、ゲー(大地)の地方系のデーと、母であるメーテルがくっついて、
デーメーテール(=大地の母)なんだと思ってましたが、今回、新説発見!
クレタの言葉で穀物はdyaiらしいんですが、デメテルのデーはコレだというもの。
つまり名前の意味は「穀物の母」。
まあ、大地全般じゃなくて農業に限定した女神だから、職能から考えたら
こっちの方が実情に近いよなあ。どっちでもイイよー

・ザグレウスはクレタの狩人で冥界の主人らしい。後に、ディオニュソスと混同される。
…てことは、元は別物?

・クレタでディオニュソスって、ゼウスのこと??(名前も「若い神」だし。ゼウスの誕生伝説あるの、クレタだし)

・ゼウスがペルセポネーと契って云々という説話があるのもクレタ?

うーん、クレタ、ますます不思議の島よ…。惚れそうです

・ていうか、デメテルはクレタからミュケーナイ時代に本土に伝わったミノア文明の女神とか、
ペルセポネーはデメテルの一側面とか、いろいろ考えてるうちに


ひょっとして、ハデスもデメテルの魔の手にーーー!!!??


などという恐ろしい考えに行き着いてしまったので、もう考えないことにする。

・まあ、デメテルとハデスは近い感じはしてましたけどね。
ハデスがペルセポネーをチョイスしたって神話で読んだ時も
「あー、ご近所さん選んだんだな。妥当な選択じゃないの?」
ほどの感慨だったもんなあ。真面目なハデスらしいなーと。
(※見習いはあの話で一番悪いのはゼウスだと思ってます。黒幕め!でもそこが好き!)

「キュベレー」部分
・以前もどこかで聞いたけど、いつも忘れちゃうのでメモ。
キュベレーの語源はクババで英語のCUBEと同じ語根?(メッカのカーバ神殿も同じ語根)
原義は入れ物?
キュベレーは石に宿る女神だと思われていた
(→ポエニ戦争中のローマのキュベレー勧請話、
「急務!船で大石を運べ!プロジェクト(勝手に命名すな)」に続く)

・メイ・クイーンの民間行事も、この女神の行事の名残らしい。
スペインの闘牛は牛犠牲の儀式の名残らしい。
ホントか??

えー、ここで見習い、今更重大なことに気付きました。
大女神の職能分離のところで、上の水担当の鳥女神と下の水担当の蛇女神に分かれると読んだ時、
”下の水”は海とか川とか、そういうものだろうと分かるけど、ぶっちゃけ
「”上の水”ってなんじゃ???」
と思ってたんです。

雨の事か!!!

雨や雪が降るのは天井にも水が蓄えられてるからだと思ったのか!!!!
やっと分かりましたー!!!(鈍すぎます)
いや、小学校で雨の降る仕組みとか習っちゃう現代人には、
上空に水溜りがあるって考えに到らなかったんですよう(弁解)

後、今更ですが、こうして当時の人々の真面目な信仰を読んでると、
「こんな風にパロっちゃってスンマセン」
というなんとも申し訳ない気持ちになります。
でも、現代の一神教の人々ほど当時の多神教を信じてた人々は狭量じゃないという気もします。
(昔のギリシア人も真面目に信じつつも叙事詩や悲劇でパロってるし。
信仰形態の微妙に違うローマでは顕著だし)


「鉄器時代」部分
ここからは主に聖書の話
・カインとアベルのエピソードで、日本人的には百姓が牧人より下に置かれる判定に
納得いかなかったんですが、なんのことはない、当時のユダヤ人が牧畜を営んでたからか。なーんや。

「聖書に隠された女神」部分
・やはり、旧約が著される前には、父なる神の隣には女神がいたらしい。
「あ、そう」くらいにしか思いませんが、小さい頃から聖書に親しんできた人にとっては衝撃なんでしょうね…

・原罪の考察辺りで書かれていた一文に共感。
「親とぶつかった子供が自分自身を責める事で
自分の全世界である親の全能性を保持するのに似ている」

・アダムの肋骨の話は、シュメールのニンティという女神をインスパイアしたもの?

しかしまあ、読めば読むほど苛々しました、この辺り。
一神教の偏り具合に!
ヘシオドスの『神統記』のパンドーラのエピソードも大概だと思ってましたがあれはまだ良心的だった。
とはいえ、イエスの教え自体は嫌いではないんだけどなあ。
(いろいろエエこと言うたはりますよ。自分が心弱いダメ人間だという
自覚のあるワタクシ、色々身につまされるっス)
あまり歴史時代のキリスト教が好きではないんですが、それは
運営する人々やら機関やらの問題なんだろうと思ってます。

最後、今後現代社会で女神はどうあるべきか、という問題提起が語られて、締め。

はー、しかし、面白かったのですが、長かったです…


全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

松本 修 / 新潮社

スコア:




次、松本修著『全国アホ・バカ分布考』読了。
これは、図書館じゃなくて人から借りたもんなんですが


面白かったんです…!!!!


気軽に読み始めて、面白すぎてなかなか止まらず、二日で読み終えてしまいました。
この本、装丁を見た時から、それほど硬い本ではなかろうとは予想していたのですが、
まさか、『探偵ナイトスクープ』のプロデューサーが書いた本だったとは!まさに想定外!
(※説明しよう。探偵ナイトスクープとは関西では有名な週末の深夜番組である。
視聴者からの疑問や要望を、探偵社所属の各探偵が調査する、という形式で番組が進行する。
ちなみに、調査に失敗した時もソレをネタにして放映するという商魂たくましさである。結構長寿番組です。)

その松本プロデューサーが、番組の成り立ちをざっと説明した後、
視聴者からの素朴な疑問「「バカ」を使う人と「アホ」を使う人の住んでる境界線はどこにあるの?」
を番組で取り上げたことがきっかけで、遠大なるバカ・アホへの旅へと乗り出した経緯などが
赤裸々に描かれており、日本人の古来からの罵り言葉の変遷が、素人にもわかりやすく、
読んで楽しく、読み終わった後にはそれなりの言語学の知識も付く仕上がりになってます。
あとがき読むと、学術書で出版しても良かったんだけど、それより言葉の収集を手伝ってくれた
全国の般の人々の恩に報い、方言は豊かな言葉なのだと胸を張ってもらうためには
一般書の方が適切かと思い直し、話を持ちかけてきた編集者の熱意にも負けて、
この本の形で出版することになったとのこと。

なので、一貫して一般人である著者の視点でかかれてます。
その点、アホ・バカをはじめ罵り言葉の謎がひとつひとつ解けていく瞬間の
スリルと興奮が非常に共感しやすく、読んでるこっちまで興奮しました。
いやあ、言葉って面白いよね!(←分かったような気になってる読者)

とはいえ、方言周圏論とか、柳田國男の蝸牛考なんかはもともと知ってたんですけどね。
アクセントも、近畿周辺のアクセントが日本語としては一番若いとも読んだし。
(ただし、アクセントは語彙より変化しにくいので、
このアクセントが成立したのはかなーり前だと思われますが)
それでも、いかに方言周圏論が思ってたより適応できるか、というか、

…具体例を目の当たりにすると、やはり感動が違うのですよ。

以下、特に強く思ったこと。

・方言周圏論というのは、言葉は文化の中心地から同心円を描いて次々と
伝わってゆく(そして、周辺部により古い形が残る)てな説のことなんですが、
このバカ・アホ考から、(メディアの発達した現代日本はともかく)、
都が奈良・京都におかれてから明治に入るまで、
その発信源は長らく京都でありつづけた、という事実が導き出されたことにまず吃驚しました。
奈良、平安、鎌倉、室町、戦国はともかく、
江戸時代に入ってからも、依然として流行の発信地は京都だったらしいっスよ!

恐るべし、京都(ガクブル)

今ではすっかり全国共通の罵り言葉として定着してる「バカ」も、
最初は京都で生まれ、京都で流行ってたんですって!
(江戸で生まれたと思ってた!)
その後京都では「アホ」が流行り、「アホ」の流行は大体関西全体に行き渡ってバカを駆逐し、今に到る、と。
(江戸から生まれた罵り言葉って実は思ってたより少ないらしい。
唯一「デレ(スケ)」なんかは江戸色が強そう、と著者は書いてたけどどうなんかねえ)

・そうそう、わたしの住まっておる地域近辺で、心底腹が立った時に使う「だぼ」ですが、
ワタシ、これ、ずっと「どあほう」が縮まったものだと思ってたんです。
が、どうやら違うようです!
「アホ」が流行る前に流行ったもっと古い言葉なんだって!
しかも、京都から同じくらい離れている東の信州あたりにも
「だぼ」という言葉が残ってるんですって!
へえ!そうなんだ!長野県とは同じくらいの距離の辺境仲間なのですね♪
シンパシーを感じる。

・高校生の時の英語の先生に初めて聞いて以来、
「日本語の罵り言葉は弱い、外国語の罵り言葉はもっとえげつなくて卑猥なものが多い」とは
各所で耳にしてきましたが、今回ソレを実感しました。
とはいってもこの著者はそれを肯定的に受け止めてて、
「直接相手の程度の低さをあざ笑ったり、欠点をあげつらうような卑しい罵り言葉は
日本人の気質には合わなかったのだ、少しひねったり、動物にたとえたり、「幸せな奴だなあ」と
正反対のことを言って婉曲的にからかったりしてそれを罵り言葉に代えたご先祖を
我々は誇りに思っていいのではないか」
というスタンスを貫いてて、
それを読んだわたしも日本人のご先祖様方がちょっと好きになりました。
今の日本人の国民性って諸外国人に比べると概ね穏やかなんじゃないかなと思ってたけど、
昔からこうなんだなあ、…なんかちょっといいんじゃない?(国際社会にねじ込むには不利かもしらんが)

・後、作中、徳川先生という言語学の先生が著者に指摘した、
「外国ではもっと多い、セックスや宗教に関る表現が少ない。
→これは日本人が性のタブーや宗教のしめつけのゆるい文化を生きてきたせいではないか」
という一文も、ものすごく納得しました。
いやあ、ちょうど女神の本読んで色々思った後だったから余計に(笑)。
歴史時代に入ってからはともかく、双系社会だった縄文弥生あたりは、
日本列島外から来た人と原住民、さほど軋轢も無くゆるーく混ざっていったらしいしね!
締め付けが何も無かったわけでは勿論無いだろうけど、相対的に見たら
自由な方なんだろうなあ。ありがたいこっちゃ。


で、読み終えて面白かったので家族にこんな本があったと話したら、
妹も母も読んだことは無くても本の存在は知ってました。

そんな有名な本だったのか!!

(今回一番吃驚したのはコレでした)
[PR]
by mi-narai | 2009-09-23 13:57 | 2009年9月の読書
<< 雑記 雑記 >>